上芳我邸は木蝋(モクロウ)で財をなした豪商・本芳我家の分家で 重厚な漆喰の壁からして、当時かなりの隆盛を誇っていました。 内子で最初に木蝋の生産をしたのは、安芸の国の蝋職人と言われておりますが、 その後、本芳我家初代、芳我弥三右衛門が当時画期的な伊予式箱晒法を開発し 海外輸出されるようにまでなり、巨万の富を築きました。